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人形アニメーション監督
自己紹介文
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1973年 神宮前生まれ・千駄ヶ谷育ち
CREATIVE STUDIO メルヘン村 主宰
人形アニメーション監督
<ブログの主旨>
『人形アニメ』という言葉を知っている人は、日本にどのくらいいるでしょうか?
あるいは『パペットアニメ』や『ストップモーションアニメ』という言葉に置き換えて考察してもいいし、『立体アニメ』や『クレイアニメ』という言葉を使って伝播してもかまわないです。
世界的に認知されている、いわゆる日本の商業セルアニメーション『アニメ(ANIME)』を日本人がどのように意識し、その本質的な文化的価値にどれだけ気付いているかというフィルターを通した時、日本においての『人形アニメ』のレゾンデートルが浮彫りになります。
この問いかけを、私は2005年10月に吉祥寺バウスシアターで上映された武蔵野市主催吉祥寺アニメワンダーランド2005特別追加企画『日本の立体アニメーション特集』で投げました。きしくもヤン・シュヴァンクマイエル作品と併映されたことは、よりこの問いかけを意味深くしてくれました。
※『日本の立体アニメーション特集』についての詳細は、こちらの特設サイトをご覧下さい。
http://www.otomeru.com/cube9/
さらにこの問いを追求し、現在における人形アニメの存在理由について考察し、問いかけ、伝播し、深いテーマ性を帯びた良質な作品を作ってゆき、新時代を築いていこうという主旨のもとに、このブログを開設します。
人との一次接触(肉体的接触)によるコミュニケーションが稀薄になったネット社会における身体的欠落感という疎外と喪失。現代社会の病みからおとずれたと私自身体感する『球体関節人形』等に代表される人形・フィギュアのムーブメントという側面から捉えても、人形に命を宿すかごとく動き(アニメート)を与える『人形アニメーション』は、現在だからこその新たなる価値と役割を見出せるのではないかと確信しています。
<フィルモグラフィー>
●2003年「atelier petros上空劇場」(船本恵太・中むらペトロ/メルヘン村制作)
「shockwave.com AWARD 2003」アニメーション部門入選
●2004年/2005年「rien村物語」第1話「トイレにいっときやー」(船本恵太・高野江里子/メルヘン村制作)
「アヌシー国際アニメーションフェスティバル2005」インターネットシリーズ作品部門正式出品
「オタワ国際アニメーションフェスティバル2006」ニューメディア部門正式出品
ソウル国際アニメーション・アンド・カートゥーン映画祭2007インターネット部門正式出品
●2005年「WORKU」第1話「FROM BEHIND」(船本恵太・小林正英/メルヘン村制作)
●2005年「BORN BY MYSELF」(小林正英・船本恵太/メルヘン村協力)
イメージフォーラム「ヤングパースペクティブ2006」参加
●2006年「WORKU」第2話「THE WALL」(船本恵太・小林正英/メルヘン村制作)
<バイオグラフィー>
●TVチャンピオン「第1回クレイアニメ王選手権」決勝ラウンド進出第3位。
●吉祥寺アニメワンダーランド2005特別追加企画「日本の立体アニメーション特集」を企画。
監督作全4作品が吉祥寺バウスシアターにて上映される。
●「チェコアニメ映画際2006」劇場用予告編制作。
●「エレメント・オブ・アニマ アートアニメーション&マテリアル展」を企画。
●映画「HANA 天使の人形」人形アニメパート制作。
●西武池袋本店池袋コミュニティ・カレッジ「パペット・アニメ体験教室」講師(2007年10月より)
私は年代的にファミコン世代に位置し、80年代から成人するまで『ヴァーチャル空間内の仮想的自己存在を自在に操る』というビデオゲームが持つ新しい価値観にフィットし、没頭してきました。
しかし、90年代も半ばに入ると、それは反復の『作業』と化し生産性を失います。期を同じくして最愛なる父を亡くし、斜頸という先天性の身体の障害のため幼少期から感じていた身体的欠落感は一挙に噴出することとなりました。それはヴァーチャル空間に興じてきたことからの反動にも根ざしています。それから90年代後半は、地元が千駄ヶ谷ということもあって、創作人形のメッカであったアートギャラリー『せ・ら〜る』に通いつめ、現実の空間に実態がありつつも存在感が稀薄な『球体関節人形』の魅力の虜となりました。現在も人形作家らとの付合いも多く、作家サイトの運営や人形教室のプロデュースを続けておりますし、人形作家柴倉一二三と結婚するに至った程です。
やがて21世紀に入ると、『球体関節人形』の世界にも反復の『作業化』がはびこり、『現実の空間に実態がありつつも存在感が稀薄』という現代社会が抱える病みに通じるフィット感を追求するには、『動き(アニメート)』を加えることだと達し、人形作家や造形師らと共同作業により、かねてより長年の夢であった人形アニメーションの制作を実践しました。実に30才になってからの初挑戦です。人形アニメ自体は古くからある技法ですが、そのレゾンデートルは今だからこそ新たなる意味を帯びています。私は懐古趣味で人形アニメを制作していません。
近年、「食玩」「フィギュア」、ブライスやスーパードルフィー等の「キャラクタードール」、そして「球体関節人形」といったいずれも「人形」(ヒトガタ)に魅入られる人が増えています。一方で、ゲーム業界は、セガ・サミー、スクエア・エニックス、バンダイ・ナムコといった大企業がどんどん合併するほどの不況です。『バーチャル空間に飽きてしまった人々は、触感に飢えている。』とうのが持論です。それと同時に、現代のネット社会における自分の存在の来有珠さ、身体的欠落感からくる「喪失」と「疎外」がまん延していることが、人形ムーブメントの最大の要因であろうと考察しています。
人形ファンに、自らの身体を傷付けて、身体の実感を得るようなリストカッターが多いのも、代替としての身体を人形に求めているからではないでしょうか。ゴスは、まさに自らの身体を着せ変え人形に見立てているように感じます。自己存在を保つために、身体を犠牲にする行為。もしかしたら、マイノリティーである彼女たちこそ、現代社会に対してセンシティブに感応したエッジにいる者たちなのかもしれません。
現在における新たなる人形アニメのレゾンデートルは、デカルトのコギト命題「我思う故に、我あり。」というイメージではなく、サルトルらの実存主義にこそ見出せます。すなわち、まず身体ありきで、次に、どんなに不条理で理不尽な現実であろうとも、事象をありのまま受け入れるということです。カフカの「変身」のザムザ氏のように。なぜなら、我々が失った身体感を取り戻すには、自らが人形と化してしまったことを受け入れるしかないだろうと考えるからです。ピノキオの逆ですね。
これを典拠とし、独自の「人形アニメーション論」を論じています。
日本はこの8年間連続で年間3万人を超える人々の命が失われています。交通事故の年間死者数よりも遥かに多い数字です。警察庁が発表した「自殺の概要資料」によると、自殺の理由の第一位は身体的劣等感となっていることも見逃せません。私は、人形アニメを通じ、「すでに身体を喪失していることを自認し、その上で人形と化していることを受け入れることが、新たなる身体感を生む。」という前向きなメッセージを伝えたいのです。